経歴

への道

一念発起して、故郷の愛媛県から東京に出たのは、昭和38年の春でした。

子供の時は野球少年で、阪神タイガースや西鉄ライオンズの華々しいゲームに一喜一憂しました。しかし、野球は特別にうまいわけでもなく、自然と進路は司法へ導かれるようでした。生まれながらに「法曹の血」が流れていたのかもしれません。

進学先は中央大学法学部。そこで出会った「特捜検察の星」と異名をとった、河井信太郎さんの講義に接して感銘したことで、私はますます検察への思いを募らせました。

昭和45年に司法試験に合格、昭和47年に検事として任官しました。

検事になって、何が真実で何が正義なのか、それを追求し実践できるのは検察しかない。

胸を躍らせての、検事生活でした。

多くの検察官は、事件を捜査する地元の警官を相手に「この裏づけが足りない」「こんなのは事件にはならんぞ」「早く供述がとれないと、起訴できないぞ」とえらそうにいいながら、クーラーの効いた部屋に閉じこもり、仕事をする。それが多くの検事です。

その中で、私は変わり者だったかもしれません。

検事には、独自の捜査権があります。河井信太郎さんにあこがれた私は、独自捜査に汗を流しました。字のとおり、検察が自らの手で情報を集めて、内偵、そして、逮捕、起訴するのです。

事件の端緒を掴もうと、私は赴任した先々で、地元の政財界の名士からチンピラやブラックな新聞を発行するような連中など、裏社会に生きる人とも付き合いました。そうすることで、さまざまな情報を得ることができました。

しかし、情報が1000あって、実際に内偵を始めるのは10にも満たない。

最終的に事件として立件できるのは1つあればいいところです。

特に、高知地検や高松地検で次席検事という、実質的な責任者の立場になってからは、数多くの独自捜査に試みました。